AYAYKOfitnessの代表、コービンあやこです。初めまして!

九州生まれ東京練馬育ち。戌年1982年生まれです。
少し長くなりますが、ぜひ最後までお読みくださいね。

3歳の頃に姉がバレエ教室に通っているのをみて「わたしも踊りたい」と言ったようで、その頃から体を動かすことに興味があったそう。それと同時にプール教室にも通い始めて両脇に浮き輪をつけてプカプカ浮いてたところを母親が見学席から見ていたのを覚えています、と言いたいところだけどさすがに覚えていません(笑)
小学生の時には負けず嫌いが始まって、ババ抜きで負けただけで大声で泣き悔しがり、隣の部屋にこもる。その後また挑戦状を突きつけて、勝つまでしつこくやり続けるような子供でした。さすがに大人になって泣きはしませんが、悔しくてできるまでやり続けるのは変わっていません。

わたしの人生の分岐点三つ。

一つ目は渡米した時。

アメリカのオハイオ州4年制大学で演劇学を学びたく高校卒業と同時、18歳の時に一人でアメリカに移住しました。英語もろくに話せないまま渡米したけれど、持ち前の明るさと努力で現地のアメリカ人に混ざりクラスを受講し同時に英語のクラスもどうにかこなしました。今振り返っても人生の中でこんなに勉強したことがないというくらい勉強しました。大学生活中に記憶にあるのが3箇所だけ!!1、クラスルーム、2、図書館、3、寮。この3箇所をトライアングルのように行ったり来たりしてる生活でした。遊んだ記憶はほとんどなし。演劇学は、演劇に関わる全てにおいて勉強するため、自分が何に興味があるのかを見極めるのに有効でした。わたしはパフォーマーとしている自分が一番楽しく自分に合っていると感じ、2年生になる頃にニューヨークのミュージカル学科のある演劇学校のオーディションがオハイオ州にきた際に挑戦しました。ありがたいことに合格をいただきニューヨーク州へ移動。毎日、ボイストレーニング、アクティング、ダンスの練習三昧。英語というハンデがありましたが、全てにおいて楽しんで取り組みました。わたしの性格やアイデンティはその大学生活や演劇学校にいる間に出来たと言っても過言ではありません。それくらい自分の人生の中では大きなチャレンジでした。

二つ目は子宮頸がんを経験した時。

ニューヨークに在住中、体調の変化に気づき病院へ。その結果、ステージ4の子宮頸がんが発覚しました。アメリカの高額医療費のことと家族が全員日本で英語が話せないことなど全てを考慮した時、最善の選択は「日本での治療」でした。病気が発覚してから一ヶ月以内にスーツケースに詰め込められるだけ詰め込み準備して、大好きな友達、思い出の品などは全てニューヨークに置いて日本に帰国しました。素晴らしい大学病院と素晴らしい医療チームに恵まれて、抗がん剤治療と手術を経てガン腫瘍を撃退することができました。この全ての経験が自分を精神面でも強くしてくれて、周りへの感謝の気持ちを自然と持てる人間と成長させてくれました。自分の健康は自分だけのものではないと気付くことができたかけがえのない人生の一幕です。

三つ目はフィットネスと出逢った時。

がんの治療が一通り終了した後も体力がゼロ以下で、引きこもりを一年くらいしていました。体力がないからやる気も出ない悪循環のループがそこにはありましたが、ありがたいことに自宅から数分のところにフィットネスクラブがあったため、最低限家の周りの散歩を日課にしていたわたしはぼんやりと「いつかまた運動できるようになりたいなあ」と思っていました。ある日家のポストに(そのころはまだ珍しかったのですが)入会金もカードキーも初月の料金も無料!!みたいなチラシが入ってて、それに見事釣られて入会しに一念発起して行きました。お手本のようなお客さんだったと思います(笑)。入会してからというものの、体力がないのでトレッドミル10分歩いて終了。少しずつ時間を長くして30分くらい連続して歩けるほどになるまで相当な時間がかかりました。お腹にみぞおちからへそ下前縦に手術痕があるのでグループレッスンのヨガなどのクラスを受けることは夢のまた夢のような感じでした。ただこの経験から言えることは、継続すれば絶対に体は成長してくれるということ。出来ないと思っていることでも出来るようになるんだ、ということを体験として学びました。フィットネスクラブのラウンジでたまたま手にとったフィットネス雑誌の求人欄から、高級ホテルのフィットネスクラブでレセプショニストとして働き2年の契約期間の間にジムエリアでもトレーナーとして勉強させてもらいました。

次の仕事をどうしようか、、、と考えているときに「ボディアートトレーニング」と出逢いました。ヨガやピラティスの資格も魅力はあったものの、すでに多くのインストラクターの方が活躍されていたので何か新しいトレーニングを探していたところ、ふと開いたページにボディアートトレーニングの第一期インストラクター養成コースの名前が目に飛び込んできました。恥ずかしい話ですが、インストラクターとしては経験値ゼロ、体力もまだそこそこ、「そんなわたしでも出来るのだろうか?」と普通だったら不安に感じると思います。しかし何故かこのトレーニングのさまざまな要素やコンセプトに自分とリンクする部分が多々あり、一切そういうことは微塵も感じず「このトレーニングを指導する人になりたい!」という気持ちが勝りボディアートトレーニングの門を叩きました。

一度も腕立て伏せが出来なかったわたしが、努力を重ねと経験を積みこのトレーニングの指導者となり、いまではインストラクターを育成することにも携わらせていただいています。平坦な道ばかりではありませんが、指導は奥が深く毎回のクラスがわたしにとっては勉強でいつも参加者の方から学ばせていただいています。自分の積み重ねてきた紆余曲折な人生の経験値と親から受け継いだ人間性とアメリカで培ったオープンマインドな心でこれからも参加者に寄り添う指導を磨いていきたいと思います。

まだ道半ばですが、ポジティブで明るい未来への道をひとつひとつしっかりと踏みしめて前に進んでいく所存です。

どうぞよろしくお願いいたします。

コービンあやこ

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